ビストロにて



 何にせよ、私は常連というものになりたくないのである。


 「あら、移動式さん(仮名)、いらっしゃ〜い。いつものでいいかしら〜」というようなことは金輪際言われたくないのである。


 なんのこっちゃ、でしょうか。整理してみますと、人には何種類かあると思うのですね。中には一度行っただけのお店でも二度目から既に常連顔の方もいらっしゃいますし、何十辺通っていても常に初々しい方もいらっしゃると思うわけですよ。で、私はそもそも何度も同じお店に通いたくないし、通っちゃったとしてもできればお店の人には覚えて欲しくないの。私のこと。


 ホワイ? ビコーズ、私はシャイな野郎なんだよ。寿司屋ではカウンター内の板さんに声を掛けるのが憚られるし(忙しそうじゃん)、スナックではママと銀座の恋の物語をデュエットするなどできない体質なんだよ。ん、しねーよ、そもそも。いかねーよ、スナック。


 また、常連になってしまうと、反対にあちらから話し掛けられてしまうだろう。例えば昼飯を買いに行ってだね、「お、いらっしゃい、今日の日替わりはね、ポーク・ピカタ。自信作。トマトソース昨夜から作ったよ」などと、そう言われたら日替わりのポーク・ピカタ弁当食うしかねーだろ。パンが食いたくても。


 とはいえ、私のそんな願いにも関わらず常連化してしまっている店がある。名前(本名)まで知られている。しかし、私のこのシークレットな活動については知られていないはずだ。なので明かせない。店の名は。


 店主が一人で営むフレンチ・ビストロである。などというと落ち着いた佇まいを連想されるかもしれないが、入口はアルミの引き戸で、大衆食堂にしか見えん。そして客は常にいない。実に流行っていないように見える。この店主がだね、話しかけてくるのだね。店主とざっくばらんにお話ができる店なんだね。ここは。で、珍しくなついてしまったという訳。


 初めて入った時に、黒板に殴り書きされたメニューから「豚足とレンズ豆の煮込み」というのをチョイスし、その全くエレガントでないフランス料理の姿、ゴーロワ精神とも言えるだろう、に感激したのだ。これはレディにはウケないメニューだろうな。「マスター、豚足、手で食っていいっスか?」と尋ねると、「どうぞどうぞ。その方が食いやすいですよ」と。気取りのない店なのだ。以来、実にエレガントでなく仕上げられた鹿だの兎だの鳩だの野鳥だの、いただいている。


 そして先日。どうしたらもうちょっと流行る店になるか密議する。「パイとかタルトとかキッシュとかどうっスか」とか、「何にでも南仏風とかつけちゃったらどうですか」とか、「今日の定食とか作ったらどうでしょう」とか。決定打なし。


 フランス修行時代に流行っていたという思い出のパトリシア・カースの1stアルバム(Mademoiselle Chante)が流れる全然お洒落じゃない店。俺もそのアルバムが大好きだった。写真はアスパラ・ソヴァージュ。少しだけアスパラの風合いに似た、癖のない野草である。それももちろん、愛すべきエレガントでないフレンチに変わるのだ。


Mademoiselle Chante

Mademoiselle Chante