ドブラジーニャ
以前、私の棲家の近郊に日系人が営むブラジル料理屋があった。今は潰れてないが。
二度ほど行ったことがある。最初に行ったときは、何だかよくわからないなりに、メニューを仔細に検討し、豚のミラノ風(ポーク・ミラネーザとか言ったっけな)を注文した。
まず、付け合わせ風サラダ小鉢が運ばれてきた。続いてがっつりと皿に盛られた飯が運ばれてきて、豆の茶色い色した煮込みが運ばれてきて、マンジョーカの粉小鉢が運ばれてきた。豆と粉は飯にかけて食えとのこと。以上は定食の基本セットのようだ。既にかなりのボリュームである。
そしてミラノ風豚。
どう申しましょうか、豚の腿肉あたりの薄切りに衣がついたフライなのだが、サイズ的にはB5版くらいの大きさでしょうか、アルミの盆にドンと盛られ、上にトマトソースがかかっている。
で、でかくねぇ?
思わず語尾上がりで一人ごちてしまう量である。B5肉とがっつり飯と豆煮込みと粉をあますところなく食った、どれも美味かった、という訳だが、その剣幕の量を食することは私には冒険であった。全部食い切った時には「よくやったね」と褒めてもらいたかった程であるが、更に「ご飯と豆、おかわりするか?」と聞かれ脱力せざるを得なかった。
その体験によって私は、肉とは量であるという真理に到達したものだ。それこそがカーニヴァル(キリスト教世界における肉断ち期間前の狂宴)の本質に迫るものであろう。
さて、折角なのでその真理をより多くのジャポネーゼ達と分かち合おうと、機会を改めて今度は友人たちと伺った。まぁ、そして同じような儀式がつつがなく遂行され、どのメニューの肉料理も我々の常識を打ち破る量であることが判明したのである。
そんな風にしてカーニヴァルの本質に迫った我々が食後の歓談をしておると、お店の人が「今日作ってみたんだ」などとサービスで一品出してくれた。
ドブラジーニャ Dobradinha
ハチノスと白インゲン豆の煮込みである。肉とは量であるという本質に肉薄するという一戦を終えた我々に、なんとヘヴィーな一撃サービスであろうか。しかもきっちり人数分。
せめて食前か食中に出してくれれば、などとぶつぶつ言いながらも食ってみると、美味い。満腹だが美味い。美味すぎて食えてしまう。もともとローマ名物(だっけ)のハチノス煮込み=トリッパが好物だっただけに、そこに白インゲン豆が加わったこの料理は、更に豆と臓物の旨みの相乗効果感を感じさせた。肉とは量なり会はそんな風に更けていったのだ・・・。
あれから何年も経つが、その味を忘れられずに調理してみた。立派な中国産白インゲン豆乾物の在庫が家にあるので消費しようと思い立ったのである。
近郊のブラジル食材店の精肉売り場で「ドブラジーニャ作りたいのですけど」と自分の胃のあたりを指差してみたら、
「ハチィノースゥ」
というお返事が返ってきた。それです。450グラムくらいを490円程で購入。
3回くらい吹きこぼして臭み取りをし、更に二時間くらい臭み抜きの下茹でをして、玉葱、セロリ、人参、トマト、ハーブ類などとともに更に二時間ほど煮込む。途中、頃合いを見て別茹でしておいた白インゲン豆を投じてみた(作り方が合っているのか知りません)。
美味い。我ながら美味い。美味すぎる。
まったく天才である(食材がね)。ハチノスのきゅっとした独特の噛み応え感、白インゲン豆の自然な甘み、トマトの酸味、そして食材から滲み出した旨みが調和する。
カメラが故障してしまったので、一晩では食い切れなかった分を翌日、朝から喰らう際に携帯で写す。時間に余裕のある休日に、じっくり煮込んでよく噛んで食いたい料理だ。